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朝6時、看護婦さんに起こされ
まだ半分電気の消えてる廊下を処置室へ。
今回の入院で一番心配だった
浣腸のお時間。
今まで何度も、病院で浣腸をしてきたけれど
今回は手術の説明の時にも
『予想では癒着が酷いので、なるべく全部出し切ってもらいたい』
と言う、趣旨の事を先生に言われ
とてもプレッシャーを感じていた。
しかも、前日の夕飯は既に禁食だと思っていたのに
普通に食べてOKだったので
『本当に全部出せるのかぁ??』
診療用のベッドに横向きで寝かせられ
なんだか、ものすごい大量のグリセリンを注入。
(大量だった気がしただけ?……かも;)
盲腸の手術の時は、それはソレで嫌だったけど
浣腸されたスグ横に、簡易トイレを置かれ
「5分我慢して此処でしてください」と言われたが
今回、何処を見回しても簡易トイレらしきものは無い。
思わず不安になり
「何処でするんですか?」と聞いてしまった。爆笑
「え~いつものトイレでもいいし、コッチ(いつものトイレと処置室挟んで反対側)でも
いいですよ~」
『マジ?だって、いつものトイレ、処置室から遠くね?
其処まで、我慢できるの????』
距離にすると、15m位なもんだけど
歩いて移動すると言うことが、思いっきり不安。w
「取りあえず、2~5分は我慢してくださいね~」
と、軽く言われるも、早足でトイレに駆け込み
速攻、便座に座る。
『2分ってどれくらいだっけ?まだ2分経たないよなぁ……』
全然2分経ってないと思うけど
そうそう我慢できるもんではありませんよね。w
7時から点滴予定だったが
食事の30分前に注ぎにくる、お茶が来ても
はじまる様子がなかった。
朝から禁食(水もNG)になっていたので
お茶を断り、喫煙所へ。
タバコを2本吸って、部屋に戻ると
間もなく、点滴が始まった。
前の日に、ライン確保をしていたので
其処から点滴に繋がれるも、なんか少し痛い。
手術は13時頃からの予定だったが
10時半に、何故か親戚のおじさんが
11時前には、母が病室へ顔を出す。
まだ時間があるからと
談話室に移動すると、スグに旦那もやってきた。
12時頃、手術後に口をゆすいだり
含めたりできるように、地下の売店で旦那と水を買い戻ってくると
看護婦さんが待ち構えていて
「手術始まるので、ストッキングを履いてください
すぐに手術室へ向いますよ」との事。
『え;まだ12時だよ??』と、思おう間もなく
一同、バタバタと移動。
母が、何かを忘れたと言ってエレベーターに乗れず
手術室の場所が分からないと困るからと
エレベーターを降りた処で、待機した旦那も残し
二人を待つ間もなく、何故か叔父だけに見送られ
手術室へ。www
中に入ると、前の手術を終えたばかりらしき
執刀医がお出迎え。
「頑張ろうね!」と、一言残し去っていった。w
すぐにオペ室の台の上に寝かされ
二人の麻酔医により硬膜外麻酔。
テキパキと、迅速に行っている。と言う印象。
背中に針刺すのが痛いと言う方々が多いですが
チクッと言う痛みというよりは、ズ~ンという鈍痛のような感じ。
そんなに、大した痛みではないです。
人によると思うけど……
固定する為のテープをビッと貼られると
仰向けにされ、ラインの取り直し。
「コレ、痛かったでしょう?」と聞かれたので
「はい。」と、素直に返事した。
そんなこんなしているうちに
「数を数えてください」とも、言われぬウチに
何も分からなくなって……
気づいたら、旦那と叔父に名前を呼ばれ
「頑張ったねー!」「良く頑張った!」と言う声だけが聞こえた。
頭を撫でてるのは、旦那だな……
そんな事を思いながら、どれくらい経ったか。
目を覚ました時は、旦那だけが病室に残っていた。
「2時間って言ってたけど、4時間かかったよ」
「子宮は癒着していて、全部は取れなかったって。
卵巣も取ったけど、一個は残したって」
そんな事を話してくれた。
盲腸の手術をした時は、麻酔が切れた後吐き気が酷く
今回もソレを心配していたが
お腹の切った処が、ズーーーンと重痛い感じ。
吐き気もなく、頭痛も無く、もう今となっては
どんな感じだったかも、良く覚えていない。
ただ、評判の悪いストッキングは
然程気にならず、エアポンプもだるい足には心地良かった。
取りあえず、手術当日は良く眠った気がする。
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